ヒロ

ヒロ1

ガタンゴトン。

ヒロは、東京23区内の職場から、
埼玉県某所にあるワンルームへと戻る
帰りの電車に揺られていた。

腕時計を見ると夜の8時30分。
電車の中には帰宅のサラリーマン&OLでいっぱいだ。

オレと同じように、スーツを着て、
本を開いたり、目をつぶったり、
携帯をいじったり、ゲームをしたり、
誰もが器用に、自分の世界にこもっている。

なにげなしに、彼らを見渡す。
心なしか、オレよりきれいな格好をしているように、思う。
彼ら彼女らは給料をいくら、もらっているんだろう?

ヒロはつり革につかまる自分自身の、
よれたスーツの袖先を、恨めしげに見た。

車窓から夜の街を眺めながら、今日の一日を思い出した。

いつもなら当たり前のふたつのエピソードが、
今日はなぜだか心に残った。

ヒロは都内の小さなメーカーで、
靴下を売る営業マンだ。

靴下というのは単価が安いだけに、利益が薄い。

白、とか、黒、
のような当たり前の靴下では、
老舗メーカーの、ブランド力を生かした商品や、
大型スーパーのPB商品、
格安衣料専門店の大量生産商品の土俵に
真っ向からぶつかり、とても勝ち目はない。

そういった、物量で勝負するところと勝負をしない、
少しだけデザインされた靴下を売るのが、
ヒロの勤める会社だ。

しかし今の不況下、
仕事で履くような靴下を作らないヒロの会社は、
苦戦が続いていた。

営業で専門店をチェーン展開する老舗へ、
せめて去年くらいの量を買ってもらいたいと腹の中で思いながら、
靴下のサンプルをスーツケースいっぱい詰めて持って行き、
店舗に入ると、そこには売れ残りが山のように残っていた。

それでも毛色の違う商品なら買ってもらえるかもしれない、と、
必死にセールストークをするも、結果は無惨なものだった。

「ダメなのよ。今年はまったく売れなくって。
 ほら、見てごらん。まだこんなに在庫が残ってる。
 もう全然売れなくって、わたしも困っているのよ」

「あと、ほら、こういった靴下」

といって、取り出された靴下は、
作りの粗くくすんだ色目、
ピッチの荒いストライプの
若い女性用靴下だった。

以前ならこの専門店では扱いもしなかったような、
チープ感ただよう商品だ。

「こういったのが、今なんとか売れている商品なの。
 分かっているわよ。ヒロさんのいいたいこと。
 品質はかなり落ちるけど、でもね、安いからさ。
 みんな手が伸びるのよね」

最後に、言われた言葉が突き刺さった。

「今の時代、安くなくっちゃ売れないのよ」

去年まで、専門店の専門性を売りに
堅実に売り上げをたてていた店の店長に言われ、
すごすごと帰ってきた。

夕方会社に帰ってくると、
売り上げと利益をチェックする上司につかまった。

「今日、君の今月の売り上げと利益進捗を
 チェックしていたんだけどねえ」
「はい」
「ほら、ここ見て」

大きな動作で、上司の差し出す報告書に見入った。
が、そもそもそれはヒロが出した報告書だ。
見なくても分かる。

「なんでこんな安い利益で売るわけ?
 こんな値段で売っていては、
 給料も出ないことが分からないのかい?」

「はい、すみません」

分からないわけじゃない。
でも、まともな値段で売れないんだ。

今日の報告書と、明日の朝、
得意先に持っていく提案書を作成し、
夜の9時頃会社を出て駅に向かう途中、
銀行のATMでお金を下ろした。
もちろん、きっちり時間外手数料を取られた。

残っているのは、
後一週間先の給料日まで、
ぎりぎり生活ができる程度の残高。

クレジットカードからお金が落ちるの、
いつの日だっけ?

自分で自分を守らないと、お先真っ暗だ。
日に日に、そんなことを思うようになった。

なにか手を考えなくては。

どこから収入を得る?

空いた時間にこっそりと、アルバイトをする?
それも手かもしれない。

でもそれだけでいいのだろうか?

かといって、
「給料以外になにかお金が手に入る方法って、ない?」
なんて同僚に軽々しく聞いて回るわけにはいかない。

収入を得るために、
アルバイトをするのか?
長い目で見て、資格を得るのか?
手っ取り早く、懸賞に応募しまくるのか?
節約術を、駆使するのか?

それとも、いっそ、思い切って独立をするべきか?

いや。

最後のところで、広がる妄想から我に返った。

会社を飛び出したところで、
生活をするだけの収入を確保するだけのあては、
なにもない。

サラリーマンを捨てずに、生活を守る。
そんななにかいい方法がないだろうか?

そうなんだ、とにかく、
オレにはそんな知識武装が必要だ、と思った。

「知識」で「武装」をしていく。

がしゃこん、がしゃこん、
と変形を繰り返し、大きく強くなっていく、
子供の頃流行った超合金の変形ロボを想像し、
大きな武者震いが自然と起きた。

そのあまりの大きな震えぶりに
隣に立っていたOLがあからさまにけげんな顔をして、
ヒロから大きく離れたのを感じ、
少しだけ我にかえった。

ところが一度広がった頭の中の妄想は止められない。

ステージが進むにつれて、次々に強敵が現れるが、
そのたびにバージョンアップし、
プロテクターが増えていくさま。

そうだ、なにより、知ることだ。

知識が増すにつれて、
生活防衛のための手段が増えていく、
ような気がした。

サラリーマンを辞めずに収入を増やすこと、
支出を減らすこと、
すべては知らないことで損をしないこと、
から始まる。

これまでのように家に帰って、
遅い夕飯を食べて、
ただテレビを見て、寝て、
仕事に行くだけじゃダメだ。

今日から、知識武装をしていくしかない。

降りる駅に着き、正面のドアが開いた。

少しだけ軽くなった足取りで
プラットホームに降り立ち、
足早に改札口から外に出た。